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21世紀教育に必要なのはホーム&アウェイという考え方。学校教育だけでは子供の自由な学びはうまれない。

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こんにちは、ノマド杉玉クリエーターのしょうごです。

21世紀の社会に必要な能力とは、自由な発想のもと生み出す創造力と言われています。

しかし、その前にその人はその人らしく幸せにいきることが大前提です。

その人らしく生きるとはなんなのか?自由にいきるとはどういうことか?そして教育はそこにどうかかわっていけるのか?

今日は「ホーム&アウェイ」という考え方を切り口に、21世紀における教育のありかたを探っていきます。

21世紀の教育のありかた

このブログの中でも教育的なテーマは何度か扱ってきました。

例えば、デンマークの成人教育機関であるフォルケホイスコーレの話

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教育は、こども一人ひとりの未来について考えること、強いてはこれからの社会のありかたや方向性をきめるとても大切なキーワードです。

「道徳」科目の必修化

最近の教育的なニュースというと、「道徳」授業の教科化でしょうか。

道徳教育が価値の押し付けであるという反対・慎重派と日本国民であることに誇りをもって、しっかりとした価値基準をもって生きていってほしいとする賛成派の間で議論がなされています。

自由な議論をして、多様な意見があることをしる。当たり前の考え方などなく、それぞれが違う意見をもっている、ということを考えるのには「道徳」という科目は役にたつかもしれません。

しかし、その科目に評価をつけることはナンセンスです。

もちろん、そこに先生や多数派からの一方的な価値の押し付けがあってはいけません。

「道徳」という価値は、それは議論や話し合いで意見が交換される、ということをとおして、一人ひとりの中に育まれるものです。けっして、それを他者が評価していいものではない。ましては数値での評価はあり得ないでしょう。

21世紀という時代

今日は21世紀の教育について考えるので、ここで一度21世紀という時代を考えてみることにしましょう。

読者の方はどのよう時代を想像されるでしょうか?

AIテクノロジーの発展に伴い、多くの単純作業が代替され、人々がより自由に活動することができるようになる時代でしょうか?

環境問題が悪化し、資源争いが過激化し、サイバー攻撃などが頻発するような時代でしょうか?

人は未来をポジティブにもネガティブにも考えることができます。

それは、その時々の自分の感情や環境によって大きく変化しますから、一概にイメージすることは難しいですが、何かしらのプラス的、マイナス的な傾向はあると思います。

例えば、僕は比較的前者のイメージです。

これからの時代は人々の生活は生活に追われるものではなく、自らの好きなこと・伝えたいことを表現していく時代になっていく。

もちろん、現状では様々な社会問題が山積していて、それを解決していくことは大切です。

だけど、そのやり方は一様でなくてもいい。

環境問題に対して、

ある人はプラスチック製品を買うことをやめ

他の人はブロイラーの鶏肉を食べることをやめるかもしれない。

また、原発に投資している金融機関にその停止を求めている人もいます。

紛争問題に対して、

自衛隊のPKO活動の在り方について議論する人がいる。

天然資源の貴金属のフェアトレードをおこなう人がいる。

家族間のカウンセリングをおこなう人もいる。

そのすべての活動が多様な意味合いをもって行われているので、ゴールは一緒でも、それぞれのやっていることは一見違うように見える。

でもそれがその人にとってもっとも得意な表現方法であると考えることができるのではないでしょうか?

「自由への」教育

ひとりひとりが持っている興味関心を存分に発揮できるようにすること、それが21世紀の教育に求められることです。

それを「自由への」教育といいかえましょう。

でもいったい、「自由」とは何ですか?

ちょっと考えてみましょう。

例えば、フランス革命は民衆による自由への革命だった。

戦後、日本の小作人は地主から自由になって耕作できるようになった。

このように、「自由」はその対義である「束縛」「圧制」などからの解放を指します。

フランス革命は「政治」的圧制からの解放でした。

戦後の土地改革は「土地」束縛からの解放でした。

では、21世紀に求められる「自由への教育」とは何からの解放を目指すものになるでしょうか。

これはもちろん人によってそれぞれだと思います。

逆にいえば、それぞれの在り方が許される教育。

それは一言でいえば「固定概念からの解放」ということができます。

それは「国」からの解放かもしれない。

それは「労働」からの解放かもしれない。

それは「食べる」ことからの解放かもしれない。

当たり前を疑い、そのうえで自分にとって大切なあたらしい「よりどころ」を作っていく。

それをする力を養うこと、それが許させる社会を作っていくこと、それが「21世紀の教育」であり、求めていく社会像のあるべき姿です。

ホーム&アウェイ

「ホーム&アウェイ」という考え方は先日にいったイベントで「宗教家」の竹下哲生さんが使っていた考え方です。

『21世紀教育を「ビジネスマン」が語り、「宗教家」が聞き、その場で、ワークショップにする』というなんとも奇妙な取り合わせのイベント。(だから面白そうなのだけど)

竹下さんはドイツ留学を経て、現在はアントロポゾフィー関連の活動を行っている人です。

著作は

「ホーム&アウェー」とは、心理的・物理的に安心して、居心地がよい空間をホーム、そして、チャレンジする場所、少し不安やドキドキ・ワクワクを感じる時をアウェーとして考えます。

ホームの役割は安心する場所であること

では、教育にこのホーム&アウェーの考え方を当てはめるとどうなるでしょうか。

教育において、ホームは家庭にあたります。

子どもは守られて育ちます。

親に見守られ、地方の人に見守られて、ゆっくり育っていきます。

身体的にも、精神的にも未熟な子どもは多くを親に頼っています。親は絶対の庇護者なのです。(少なくともひと昔前まではそうでした。もちろんそれがおばあちゃんや近所のおばちゃんであることもあるだろうけど)

だから、多くの子どもにとってホームは家や親、つまり家庭になります。

そこには、ご飯がたべられ、お風呂に入ることができて、話を聞いてくれる人がいる。

居心地のよい、安心して暮らせる場所がホームなのです。

アウェーの役割はチャレンジする場所

一方で、アウェーとはホームの対極にある場所のことです。

行ったことのない場所。知らない人がいるところ。未知のものに満ちている場所。

子どもにとっては学校であることが多いでしょう。

アウェーはけして居心地のよい場所ではない。でも、そこには刺激があり、新しい価値や気づきに満ちています。そういうところなのです。

知らない人がいれば意見の相違があるのは当たり前で、喧嘩になることもあるかもしれない。でも、そこに色んな人の価値があること、そして自分を発見していく喜びがあり、未知な世界を開拓していく楽しみがあります。

大人にとっては会社や、はじめてのイベントにいくときのことを想像してみるといいかもしれません。

少し、気合を入れて、家を出るとき、それはアウェーに向かうときに自分の姿だ。

家では勉強できなくても、カフェとかで勉強しやすいとかも、そういう意識の切り替えがあるからかもしれませんね。

ホームがあるからアウェーに行きたくなる

居心地が良すぎると、人はどんどんダメになる。といわれたりします。

でもそれは違うと思います。

居心地のよい空間(ホーム)にはいたいだけいればいい。

ぐっすりとそこで休めばいい。

不思議なもので、居心地のよかった場所は永遠に居心地のよい場所ではないのです。

人間は何よりもよどみを嫌う生き物だから、だんだんと飽きてきます。

例えば、素晴らしいバンド絶好調なのに解散したり、うまくいっていた事業を解散する人がいたりする。

居心地のよい空間で充電されると、人は自然とアウェーに飛び出したくなるのです。

何か自分のやりたいことを模索しに、外にでて新しいことをしたくなします。

そこで新しい気づきをたくさんもってホームにかえってくる。

そして、再び居心地のよいホームでそれらを整理して、自分の成長にしっかりと落とし込んでいくのです。

ホームがあるということの大切さ

ホームという熱源があれば、子どもは外の世界(アウェー)に自ら飛び出して、学習したいという欲求を自然と持つ。

逆に、そこがなければ、いつまでも居場所探しを続けて、外の世界に積極的に出ていくことができません。

ホームが一か所である必要もないし、そこが家庭である必要もない。ただ、多くの場合は家庭がその役割を担い、人であれば親であることが多いということだ。

現代日本の多くの親はどちらかというと教育=学校というようなステレオタイプをもっているような気がする。でもそれは少し偏った見方にみえる。

「ホーム&アウェー」の考え方でいえば、ホームは家庭、アウェーは学校だ。

ホームがしっかりしているだけ、こどもは健やかに外(学校)に向かって羽ばたいていける。

いい学校を探すことはもちろん大切なことだと思う。

でも、そのまえに子どもが心理的・物理的に安心できるホームをつくることを今一度意識してみるのも重要なことです。

子どもだけじゃない、大人だっていつだって安らげるホームとチャレンジできるアウェーをもって生活している。いつもはそうと意識していないだけだ。逆に何かがうまくいっていない人は、それを意識してみるといい。

この考え方が、これからの教育の新いカタチになればいい。

それでは、また!