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コンプレックス解消のために書く。イケハヤ、武器としての書く技術

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プロブロガーイケダハヤトの「武器としての書く技術」読みました。

ブログとは己の臆病さに気づくツールである

クッソ痛快で、テンポよく、そして具体例もたくさん詰め込まれていて、ついスイスイ読んでしまいました。

何より悔しいような嬉しいよう発見は、今まで自分がコンプレックスに感じていたことをズバリそのまま言われたことです。

それがこちら

和を演出しようとする臆病者の自分に気づけ!

ブログを書く効用のひとつは「ほとんど無意識的に『和』を演出しようとしていしまう自分の存在」に気づけることです。

自分の意見を書いていると、和を乱さぬよう、つい

・「あくまでわたしの個人的意見ではありますが」

・「様々な意見があることは重々承知していますが〜」

・「バカな素人考えにすぎないのですが〜」

・「〜な気がします」

・「〜だと思います」

などなどの、遠回しな文句を用いてしまいがちです。

こういう婉曲的な言い方は、お読みいただいているとわかる通り、非常にずるく、いやらしいものです。へっぴり腰です。

 

引用 イケダハヤト「武器としての書く技術」

4月くらいにブログを始めた時、

「ノマドでフリーランスで金稼げたらいいなー」

「ブログで稼いでる人たくさんいる見たいだしとりあえずやってみよ」

というノリで始めたものの、書き方も、稼ぎ方もわからず、

そして書きたいことはたくさんあるはずなのに、全然かけない・・という挫折を味わい、

更新テンポが遅くなり、どんどんどんどん遅くなり、7月くらいに止まりました。

今ならわかります。本を読む前から薄々気づいていたことでもあったのですが、ここではっきりとわかりました。

僕がその、へっぴり腰の腰抜けのどうしようもない臆病者です。

話すように書く

自分がどうしようもないプライドを持っていたり、人によって態度を変えているんだな、ということに気づいてしまったきっかけが、ブログの語尾の決め方。

ブログを書き始めて、一番悩んのは語尾を決め方です。

普段の生活でなら、相手が目上の人や尊敬している人ならなんとなく敬語を使いますし、子供や赤ちゃんなら、なんとなく優しい言葉遣いをします。

でも、ブログは一体誰が読むのかわからないので、語尾を始末の仕方がはて、さっぱりわからない。

それでなんだか、お堅い大学の先生みたいな話し方になり、それも違和感があって、友達風にしたりとか意識して書いていたこともありましたが、結局よくわかんなくなってしまいました。

でも、真面目なことを書いたって、25歳の若造が持っている知識なんてたかが知れているわけで、でも友達に語りかけるように書いてもなんか文章が硬い。なんだか、上から目線を感じるイヤな文章だなぁと自分でも思っていました。

本を読んで、まずは「話すように書く」でいいということが書いてあったので、とりあえずはイケハヤが言っているように、それを実践して見ます。

日常で喋るやつほど、文章が書けない

これも自分を例に挙げて考えてみました。

僕は、普段人と会うとめちゃくちゃおしゃべりなんですね。

そのひとの出生地、家族構成、学歴、職歴、恋人歴、どんなことに情熱を注いできたのか、部活はしたのか、何が好きか嫌いか、今、最も熱いトピックはなんのか、性癖は、大学でのメジャーは何で、卒論では何を書いたのか・・・などなど

自分がひたすら話すというより、人に質問しまくって、話させるというタイプのおしゃべりなんです。

その人の過去の情報を聞き出しながら、容姿を観察し、話している時のそぶりを観察し、そして自分の中にカテゴライズしていくのです。

この人はスピリチュアル系。この人はヒッピー系ナチュラリスト、旅人系学生に素敵インスタ系。みたいな感じ。

カテゴライズしてそのあと何かがあるのかと言えば何もなくて、ただその時にあった人をカテゴライズするのが好きなんです。言ってみれば癖みたいなものです。

でも質問って結構されてばかりだとイヤじゃないですか。

だから自分の話も小出しする。話題の等価交換ってやつですね。

でも、個人的に小出しした話に盛り上がってしまうと、結構一人で語り出したりもしちゃいます。

対面で話し合っている時は相手のリアクションに合わせて細かいフォローもできた気になっているので、感情的になんの問題もないのです。

そんな日常でおしゃべり人ほど、ほんとに文章が書けないんです。

卒論を書いた時も、一日かかって原稿用紙1枚くらいしか書けてませんでした。

その時に自分で分析したのは、

話すことに慣れている人は、リアルな対人関係の中で話題や言葉を組み立てるのに慣れているだけに、目の前に誰もいない不特定多数の相手に伝える、ということが苦手中の苦手なのだ、ということです。

パソコンの向こう側にいる人を想像できないんです。

パソコンの向こう側にいる人が自分を評価し、恐ろしいことを、手直しを要求するようなこと言ってくるんじゃないかと、ビクビクしている。

だから、書けなかったんです。

コンプレックス解消のために書く

ということで、「武器としての文章術」を読んで僕にとって最大の学びは、

自分のコンプレックスと向き合い、それを乗り越えるために書き続けること

でした。

そういえば、イケハヤも書いていました。

「バカだと思われる恐れ」をひとつひとつ振り払いながら情報を発信し続けていくと、自分の意見を発信することは億劫ではなくなる。

ブログを書き、まずは自分が、「すぐに賢者の皮をかぶろうとする、へっぴり腰の臆病者」であることに気づきましょう。そして、その臆病と戦い、希薄になった自分を取り戻していきましょう。これこそ、ブログを書く最大の目的です。

引用 イケダハヤト「武器としての書く技術」

ということで、「武器としての書く技術」おすすめです。